Chinese history 知っておきたい中国の歴史

神話と伝説

歴史によると、中国文明は紀元前6000年頃のことだという。
古くからの伝説では、天地創造の後、三皇と呼ばれる3名の聖天子が人間をつくり、漁猟、農耕、火食を発明したとされている。
その一人目である伏義(ふくぎ)は、占いの書、『 易経 』で説かれる八卦を考案した。
中国神話では、三皇に続いて、五帝と称される君主がこの国を治めたとされている。
その一人、黄帝は漢民族の始祖、道教の創始者としていまも崇拝される。
黄帝は船を発明し、牧畜の技術を改良し、中国に竹をもたらすなど、中国文明に多大な貢献をしたと信じられている。
中国神話によれば、五帝のひとり、舜の命を受けて治水工事に当たった禹(う)は、その功により天子となり、夏王朝を開いたという。

消えた北京原人

1923年北京市郊外の周口店で欧州の研究者が北京原人の歯の化石を発掘し、その後アメソカの援助で大規模な発掘が進み、1929年頭蓋骨の化石が発見され、ジャワ原人と並び約50万年前に住んでいた北京原人の全容が解明され世界中が注目しました。

 

1937年、日中戦争の勃発で発掘が中止され、それまでに大量に発掘された原人の化石類は、日本軍占領下の北京市内の協和医学院に保管されていました。

 

1941年、日本とアメリカの戦争がせまり、天津から船でアメリカに移送されることになり、梱包されて出国許可が出るのを待っていたときに開戦となりました。

 

天津から船積みはされてなく、どこで消えたのか現在も不明です。

 

戦後発見されたリストには、北京原人の頭骨五個をはじめ体骨、歯など数十個、周口店で発見された山項洞人の化石などが記載されていました。

 

戦後中国における原人から旧人、新人へとつづく旧石器時代人の遺跡発掘や研究の進展は、中国全土にひろがっており、約50万年前の北京原人、170万年前〜20万年前までの化石、より発達した旧人の化石などが全国で発掘されています。

 

新人になると全国の40ヵ所近くで出土していて、その代表が北京原人と共に消えた山頂洞人であり、1万7千年前頃から住んでいた彼らの石器は格段に進歩していました。

 

*新入・類人猿から分かれ初めて直立二足歩行した猿人が、原人になると、火を使い石器をつくり、さらに旧人(ネアンデル夕ール人)は死者を埋葬し、やがて、私達と遺伝子を同じくする新人=ホモ、サピエンスがアフリカで誕生した。