Chinese history 知っておきたい中国の歴史

中国を統一した秦の始皇帝

戦国時代の秦は、東方の国々からは文化のおくれた国とみなされていましたが、多くの戦争を勝ちぬいて中国を統一しました。
秦は、国内では厳しい刑罰と厳格な行政規則(律令制度)を実行し、たくみな外交活動を展開し、また他国の技術者を積極的にむかえ、強国となりました。
始皇帝の中国統一は、戦国時代以来の秦のこのような活動の末に実現しました。

 

西周時代には1800ほどもあった都市国家が、春秋時代には数十国に併合され、戦国時代になると7国に統合されました。
この時代に鉄器が導入されて農業の生産力と軍事力が飛躍的に発展し、強国が弱国を吸収しました。

 

鉄製のスキを牛に引かせた牛耕で土壌が深くたがやされて収穫がいちじるしく増え、開墾が進み農地が拡大しました。
鉄製の武器は都市で生産されます。
大規模な都市が分散して、それぞれ経済的、軍事的独立を維持しながら兵器を生産した国が多かったなかで、秦は、首都成陽に領域内の商人を移住させて経済活動を集中し、ほかの都市には武器の生産を許しませんでした。

 

土地を開墾しても灌漑(かんがい)が必要です。
戦国時代の秦は、始皇帝よりも100年前に南方の蜀(しょく)の国を占領しました。
その時、李冰(リピン)を派遣して都江堰(とこうえん)をつくりました。
岷江(びんこう)という川の流れを本流の外江と内江に分け、岩山を切り通して取水口をつくり、そこから数千キロにおよぶ灌漑水路を網の目のようにのばしました。
渇水期と豊水期に内江・外江の水量を調節して、治水と灌漑の機能をたくみに組みあわせたこの堰堤により、蜀の国は中国の食糧宝庫となり、秦の経済はとても強化されたといいます。