Chinese history 知っておきたい中国の歴史

明時代

貧農出身の朱元また元代には、中国の小璋は、即位して洪武帝と称し、明(1368〜1644年)の都を南京に定めた。
洪武帝(在位1368〜1398年)は巧みに中国を統治したが、まもなく専制政治に陥ってしまう。
さらに彼の死後、後継者の座をめぐって内紛が起こり、結局、帝位は洪武帝が指名した孫ではなく、息子の燕王が継ぐことになった。
これが永楽帝在位(1403〜1424年)である。
永楽帝は都を北京に移し、紫禁城を築いた。

 

明代には、のちの清朝の歴史に多大な影響を及ぼす欧州人が中国を訪れるようになった。
マカオがポルトガル人の拠点となり、イギリス人が広東にやってきた。
さらに1580年代になると、マテオ・リッチ(1557〜1610)をはじめとするイ工ズス会の宣教師たちが中国伝道に乗り出す。
万暦帝(在位1573〜1620)の時代には、モンゴル系の民族が北辺をたびたび侵す一方、日本人が朝鮮(明の属国)を襲うなど、いわゆる北虜南倭に悩まされた。
このため、軍事費がかさみ、国庫を圧迫した。

 

15世紀には、再び宦官が実権を握り、皇帝はたんなる操り人形と化した。
宦官が国策を思いのままに支配した結果、帝国は崩壊寸前となる。
激化する農民暴動を前に明王朝は風前の灯となり、最後の皇帝、崇禎帝は自殺してしまう。

 

文化面では、小説が民衆の心をつかみ、豪傑や義賊の生きざまを活写した『水滸伝』、長編歴史小説『三国志演義』、写実的な性描写で知られる『金瓶梅』などがこの時代の代表的な作品。
明代には白地に青い紋様を描いた磁器が流行したが、こうした様式は元代に始まったもので、中東の影響が見られる。