Chinese history 知っておきたい中国の歴史

五代と宋時代

唐の滅亡後、907年から960年にかけて中原の地に5王朝(後梁、後唐、後晋、後漢、後周)、その周辺で10あまりの王朝が興亡した。この時代を五代という。

 

こうした混乱に終止符を打ち、再び天下を統一したのが後周の武将、趙匡胤(ちょうきょういん)。
趙匡胤が建国した宋(960〜1279)は、一般に北宋(960〜1127)と南宋(1127〜1279)に分けられる。

 

宋では、唐末五代の武断政治を廃して、再び官僚による統治が行なわれるようになり、科挙が復活された。
紙幣が発明され、王安石(1021〜1086)による改革が行なわれたこともあって、経済は大きな成長を遂げた。
しかし、宋はつねに北方民族の圧迫を受けており、1126年、ついに女真族に都の開封を占領されてしまう。
女真族が華北に金(1125〜1234)を建国する一方、宋は都を臨安(現在の杭州)に移し、以後は南宋となる。
1142年の和議で、淮水が金と南宋の国境と定められた。
金は和平と引き換えに南宋の皇帝を臣従させ、大量の貢ぎ物を要求した。
だが、そうした状況があったにもかかわらず、南宋は江南で発展を遂げ、農業、外国との交易、製造業が盛んになった。
だが、この繁栄も長くは続かなかった。
北辺にモンゴルの脅威が迫っていたのだ。
モンゴルは、チンギス・ハーンのもとに強大な戦力を擁し、行く先々を蹂躙した。
南宋はモンゴルと結んで金に対抗したが、皮肉にも、モンゴルは金を滅ぼしたのち、豊かな南宋に食指を伸ばす。
1279年、モンゴルは南宋を滅ぼし、初めて中国全土が外国の支配下におかれた。

 

宋代の最大の文化遺産は、山水画をはじめとする絵画と詩歌。
思想では、南宋の儒学者、朱子が大成した朱子学が主流になった。