my 旅行計画・日本を旅する観光プラン:京都旅行

三十三間堂

スポンサードリンク

 

三十三間堂

京都東山:三十三間堂

 

京都東山:三十三間堂

 

京都東山:三十三間堂

 

京都東山:三十三間堂

 

京都東山:三十三間堂

 

京都東山:三十三間堂

 

 

智積院(ちしゃくいん)

 

京都東山:智積院

 

京都東山:智積院

 

京都東山:智積院

 

京都東山:智積院

 

京都東山:智積院

 

京都東山:智積院

 

パーキングへ戻り帰路につく。

京都旅行:寺院 メモ

三十三間堂(蓮華王院)

京都東山:三十三間堂(蓮華王院)

平清盛が寄進した仏堂
南北約125m、東西約22mの細長い木造建築。後白河法皇の仏堂として1164年(長寛2)に建てられ、もとは多くの堂塔伽藍が連なる法性寺殿という院御所の一画にあった。
現在は天台宗妙法院の境外仏堂で、正式名称は「蓮華王院」というが、本堂内陣の柱間が三十三間あることから「三十三間堂」と呼ばれる。

 

薄暗い堂内には、千手観音坐像を中心に千体の千手観音立像が荘厳に並ぶ。周囲には風神・雷神像、二十八部衆立像が安置され、見る人を圧倒する光景が広がる。

 

平家はもうひとつ三十三間堂を建てていた
この三十三間堂は平清盛が後白河法皇に寄進したものだが、平家はもうひとつ三十三間堂を建てていた。
現在の岡崎あたりにあったという得長寿院である。
のちに大地震で得長寿院は倒壊したが、蓮華王院はもちこたえた。
しかし、1183年(寿永2)には法住寺殿が木曽義仲により焼き討ちに遭い、また1249年(建長1)の大火などで壊滅状態となる。
その後1266年(文永3)、後嵯峨上皇により再建され、現在に至っている。

 

 

五百佛山根来寺智積院 いおぶさん ねごろじ ちしゃくいん

京都東山:智積院

秀吉と家康ゆかりの真言宗の本山
東大路通に向かって門を開き、古い石垣を土台に高い塀をめぐらせている。
真言宗智山派総本山の智積院は、格式と風格のある大寺だ。
この地には豊臣秀吉が早世した長男、棄丸(すてまる)(鶴(松)の菩提を弔うために建てた祥雲禅寺と秀吉を祀る豊国神社の一部があったが、1601年(慶長6)、徳川家康が玄宥僧正に「五百佛山根来寺智積院」を建立させた。
さらに1615年(元和1)、祥雲禅寺の建物や障壁画、豊国神社の堂
舎を受け継ぎ規模を拡大、その後学僧の教学専門学寮となり、隆盛した。
幕末になってたび重なる火災で諸堂が焼失したが、近年金堂などの伽藍の一部が再建された。

 

桃山の栄華を伝える障壁画の数々
本堂東の大書院は、東福門院の旧殿といわれているが、1947年(昭和22)の火災で半焼し、古材での再建である。
大書院に面する千利休好みといわれる庭園は、1674年(延宝2)に、祥雲禅寺時代の庭を修築したもので、中国の名勝、廬山になぞらえてつくられたといわれる。
庭園の池が大書院の縁の下に入り込み、平安時代の寝殿造を思わせる。
収蔵庫内部には大書院上段の間が復元され、長谷川等伯と息子、久蔵による絢爛豪華な障壁画が堪能できる。

三十三間堂関連ページ

伏見稲荷大社
旅行や観光、レジャーライフを楽しく過ごすためのプランで感動を演出。旅行プランで楽しく快適な、京都を旅するMyファイル。
慈照寺(銀閣寺)
旅行や観光、レジャーライフを楽しく過ごすためのプランで感動を演出。旅行プランで楽しく快適な、京都を旅するMyファイル。
四条周辺
旅行や観光、レジャーライフを楽しく過ごすためのプランで感動を演出。旅行プランで楽しく快適な、京都を旅するMyファイル。
知恩院
旅行や観光、レジャーライフを楽しく過ごすためのプランで感動を演出。旅行プランで楽しく快適な、京都を旅するMyファイル。
清水寺 自主神社
旅行や観光、レジャーライフを楽しく過ごすためのプランで感動を演出。旅行プランで楽しく快適な、京都を旅するMyファイル。
高台寺 圓徳院
旅行や観光、レジャーライフを楽しく過ごすためのプランで感動を演出。旅行プランで楽しく快適な、京都を旅するMyファイル。

ホーム RSS購読 サイトマップ
HOME 日本の旅 HOME 東北旅行 関東旅行 甲信越旅行 東海旅行 北陸旅行 京都旅行 西日本旅行