my旅行計画・日本を旅する観光プラン=北陸

 

加賀百万石 金沢の街
天正 11 年( 1583 )に前田利家が金沢城に入城して以来、加賀百万石の城下町として発展した金沢。天災や戦災を受けることもなく今も街は城(金沢城公園)を中心にして広がっている。
有名な兼六園は城の南東側、北東側にはひがし茶屋街、西側は武家屋敷跡、その南側が香林坊や片町の繁華街、さらに南にはにし茶屋街に寺町寺院群と、すべて城を囲むように点在。ある程度の場所を把握しておけば、観光にも便利なはずだ。

 

my-旅行記・1泊2日 石川県金沢旅行、兼六園と城下町の散策

 

兼六園

寺町寺院群〜にし茶屋街

武家屋敷跡〜金沢城

金沢:兼六園 

冬の金沢兼六園の観光。

金沢:寺町 

金沢城下町の散策。犀川を渡り寺町寺院群〜にし茶屋街。忍者寺として知られる妙立寺を拝観が午前中のメイン。

金沢:武家屋敷跡 

にし茶屋街〜武家屋敷跡〜金沢城跡〜兼六園の散策。

加賀百万石の金沢を訪ねる。

 

1583(天正11)年、羽柴秀吉は前田利家とともに金沢に人城。利家は金沢城に入ると、城下町を整備するために大手門付近に街造りを始めた。
竪町、十間町、尾張町、博労町、伝馬町を、その外側の大工町、鍛冶町などができた。
町名は生活の中で人々が呼び続けているうちに定着したもの。

 

1616(元和2)年、3代藩主前田利常により、金沢の町は地の利を生かした区画整理と道路の大改修が行われ、その際に市内に散在する寺院を寺町台と卯辰山に、前田家ゆかりの寺院を小立野台に集めた。
1631(寛永8)年に大火が発生し、町の3分の2以上が焼失した。翌年、利常は金沢城の防火と水利を目的に辰巳用水を建設。城を取り囲むよう用水を掘りめぐらし、外堀の役目を果たしている。
また、網の目のようになっている小さな道は、城を守るのを目的にその時に造られたもので、現在の金沢の町の基礎となっている。

 

金沢は起伏に富んだ地形のため、石段や坂道が多いのも特徴。
石段や坂道は、観音坂、蛤坂など、それぞれ由来をもった呼び名があり、人々に親しまれてきた。
土塀の続くカギ型の小道は長町周辺に見られ、卯辰山山麓には石段や袋小路があり、400年余り経った今もその姿をとどめている。
人馬の往来が自動車と、時代の流れとともに道は変化したが、金沢で暮らした人々のさまざまな歴史が刻み込まれている。


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