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『平家物語』の終焉』
1186年(文治2)の春、壇の浦で源氏方に救われ、大原に隠棲した建礼門院を、後白河法皇が訪ねた。
平家の没落は、法皇が下した平家討伐の院宣(いんせん)に端を発している。
人目をはばかり、供奉(ぐぶ)も少ない御幸であった。
法皇が目にしたのは、草が茂り、隙間の開いた板で屋根を葺いた庵(いおり)。麻の衣に紙の蒲団。宮中の生活とは対極の暮らしぶりであった。
仏前に供える花を手に山から戻った建礼門院と再会した法皇は、涙にくれる。
平家一門の興亡を描いた大古典「平家物語」は、無常の思いを残しつつ、こうして大原で幕を閉じた。
寂光院
建礼門院ゆかりの尼寺・再建、復元された各時代の様式
柿葺(こけらぶき)も新しい再建された本堂は、外陣が旧本堂と同じ桃山建築様式、内陣は飛鳥様式、藤原様式、および『平家物語』当時の様式で復元されている。
過去に荒廃した時期に、再興したのは豊臣秀吉の側室、淀君の命を受けた片桐且元であつた。