my旅行計画・日本を旅する観光プラン:金沢・兼六園

 

歴代藩主がつくりあげた華麗な町、金沢

加賀一帯は、室町時代末期から織田信長勢に攻め滅ぼされるまでの約100年間、一向宗門徒により共和政権がが続けられていた。
1583年に加賀藩初代藩主前田俐家が金沢城に入城、前田家による統治が始まったが歴代藩主は一向一揆に苦しみ、一向宗寺院を城下に移して監視するなど一向宗対策に腐心した。
また、120万石の大藩であったため、利家没後は、幕府の強い圧力受けて常に加賀俯お取り潰しの機会をねらわれていた。
そのため三代藩主利常以以降からは武から文へ政策の転換を川り、さまざまな伝統工芸や芸能を奨励した。それが現在の金沢商業の礎となり、華麗で豊かな加賀百万石時代を築いていった。

 

初代藩主 前田利家 1538〜1599年
1581年天正9統治のはじまり・織田信長、利家に能登を統治させる。
小立野台に前田家最初の菩提寺、宝円寺を建立。

1583年天正11 金沢入城
羽柴秀吉とともに金沢に入城。城下町を育成するため、城の大手門近くに、堅町・十間町、尾張町などを造った

1593年文禄2 金箔創成
陣中より国元へ金銀箔製造を命じる。金沢箔の歴史の始まり。

1599年座長4 大阪にて没、野田山に葬られる。

 

 

2代藩主 前田利長1592〜1614年
1600年慶長5 北陸の3国を統治
徳川家康より山口宗永と丹羽長重の旧領を加封され、加賀・能登・越中の3ヵ国を領有する。

 

 

3代藩主 前田利常 1593〜1658年
1616年元和2 寺町・卯辰山の整備
金沢の市区を整備し、近郊の道路の改修を行った。寺院の再配置を行い、寺町寺院群・卯辰山寺院群ができる。

1624年寛永元 蒔絵
京都から五十嵐道甫や清水九兵衛等を招き、金沢城内の細工所で蒔絵の指導にあたらせる。

1631年寛永8 火災
金沢で大火が発生、金沢城が大きな被害を受け、町方も数千軒焼失。

1632年寛永9 辰巳用水
金沢城の防火と水利のために辰巳用水が造られる。城内に犀川から水が引かれ、城を取り巻くように二重三重に用水をめぐらせた。城下町の区画。整備もこの頃

 

 

4代藩主 前田光高 1615〜1645年
1643年寛永20 尾崎神社・尾崎神社を金沢城内に建立。

 

 

5代藩主 前田綱紀 1643〜1724年
1655年明暦元 九谷焼開窯・後藤才次郎、古九谷を開窯。

1666年寛文6 茶道
裏千家の祖、千宗室と陶工大樋長左衛門藩主の招聘で金沢に来る。

1676年延宝4 兼六園
蓮池亭を造り、その庭を蓮池庭と呼んだのが兼六園の始まり。文政年間から嘉永年間(1818〜1853年)にかけてほば完成

1686年貞享3 能
初代藩主の時代から金春流の能が盛んであったが、五代将軍徳川綱吉の意向で宝生流を習い始める。以後、現在に至るまで金沢では宝生流が主流になっている。

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