my 旅行計画:京都観光プラン・東山、四条

東山〜四条周辺の観光

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京都東山の散策と観光

  • 有名観光地京都で一番の人気エリアは東山。清水の舞台でおなじみの清水寺、ねねゆかりの高台寺、風神雷神屏風の建仁寺、鴬張り廊下の知恩院、京の町の守り神八坂神社、デートスポットの丸山公園など古都の魅力が集まる散策コースとなっている。

  • 清水寺から高台寺にかけての石畳の道や坂道。三年坂、二年坂を始め、高台寺の門前を南北に走るねねの道、その途中から西に分かれる石塀小路。道沿いに古くからののれんを掲げる店や町家が並び、京情緒に浸りながら散策を楽しみたい。

京都2日目:東山〜四条周辺の観光

京都東山:大原から約40分、二条大橋付近の駐車場に車を止め、今日は一日歩くことにする。

 

京都旅行:京都市内

 

京都旅行:京都市内

 

京都旅行:京都市内

 

京都旅行:京都市内

 

京都旅行:二条発、東山を散策と観光

河原町二条パーキング

京都市中京区河原町通二条上る清水町341番地
昼間最大 8:00〜22:00まで1200円なので利用。車を駐車する場合はコインパーキングなど場所を選んで利用したほうがよいと思う。市営の駐車場などピンポイントでまわるのも良いが、私たちは散策が目的なので少し街外れだが二条大橋付近にした。

 

 

9時10分:二条大橋
京都旅行:二条大橋

 

京都旅行:二条大橋

 

京都旅行:三条大橋

 

京都旅行:三条大橋

 

二条大橋〜三条大橋
鴨川沿いを京の景色、景観を楽しみながら歩いてみたかったので気分は爽快。

 

 

京都旅行:三条大橋

 

京都旅行:四条大橋

 

京都旅行:四条大橋

 

京都旅行:四条大橋

 

9時40分:四条大橋

通りの中で車も人も一番賑やかな通りだった。

 

南座
師走の顔見世で名高い日本最古の劇場
四条大橋東詰に建つ日本最古の劇場。出雲の阿国(おくに)が歌舞伎踊りを始めた四条河原に設けられた芝居小屋が始まりで、建物脇に阿国歌舞伎発祥の地碑もある。

 

 

京都旅行:五条大橋

 

京都旅行:五条大橋

 

京都旅行:五条

 

京都旅行:五条

 

10時:五条大橋

牛若丸と弁慶で有名な五条大橋。
二条大橋から五条大橋まで50分、四条くらいのまでの距離がちょうどいいです。四条過ぎた頃にタクシーに乗ろうかと思った。
五条から1号線沿いに清水方面へと進む。

 

 

京都旅行:五条

 

京都・茶碗坂

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

10時30分:清水寺
清水寺

坂上田村麻呂が開いた古刹。
世界遺産にも登録され、北法相宗の大本山、西国第16番札所としても名高い。舞台造の本堂(国宝)や重文の仁王門・三重塔・奥の院など、清水山中腹に並ぶ伽藍は徳川家光の再建。
境内は桜と紅葉の名所で、春と秋には夜の特別拝観も行われる。

 

朱色が美しい三重塔
高さ約31mは現存する三重塔では日本最大級。
昭和62年の解体修理で総丹塗りに復元され、軒下は極彩色の文様で飾られている。

 

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

本堂
「清水の舞台」で名高い寄棟造・桧皮葺の大建築。
崖に組まれた139本の柱で支えられた舞台の上からは京都市街や緑豊かな境内が一望できる。
本尊の十一面千手観音は33年に一度開帳の秘仏で、次回は2033年に開扉される。

 

 

地主神社
清水寺の地主神をまつり、本堂の北隣にある。
縁結びの神様として知られ、目を閉じてもう1つの石にたどり着ければ恋が叶うという「恋占いの石」が人気を集めているが、私にはやってみる勇気は無い。

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

京都・清水寺

 

音羽の滝(おとわのたき)
寺号の由来となった滝。
本堂東側の石段下に音羽山から湧き出た清水が3筋に落ち、柄杓に受けて飲む人がいつも長い列を作っている。

 

 

京都旅行:東山

三年坂・二年坂(産寧坂)

 

古いノレンの店が並ぶ風情満点の坂道。三年坂は清水坂から分かれて北へ下る石段。清水寺の子安(こやす)の塔の安産信仰から、産寧坂とも呼ばれている。大同3年(808)に完成したのが名前の由来で、ここで転ぶと3年後に死ぬという言い伝えから、死なない為にまおじないとして瓢箪を売る吉もある。
三年坂と八坂の塔を結ぶ道から北へ下る二年坂は大同2年(807)の完成。竹久夢二が住んだこともあり、寓居の跡碑も立っている。

 

京都旅行:東山

 

 

京都旅行:東山

ねねの道

清水寺から三年坂(産寧坂)、二年坂を経て八坂神社へと向かう小道。古くからの道の名前は高台寺道と言うが、豊臣秀吉の正妻ねね(北政所)ゆかりの高台寺と圓徳院があることから高台寺道と呼ばれている。1998年(平成10)御影石約2500枚を敷き詰めた石畳の道に生まれ変わり、その際にねねの道と改名された。
京都旅行:東山

 

 

 

11時40分:高台寺
京都旅行:東山・高台寺

 

京都旅行:東山・高台寺

 

京都旅行:東山・高台寺

 

京都旅行:東山・高台寺

 

高台寺

華やかな蒔絵で名高い「ねねの寺」
北政所、ねねが亡夫豊臣秀吉の菩提を弔うために創建し、余生を過ごした寺。
名勝の庭園を取り巻くように、創建当時の開山堂、霊屋、傘亭・時雨亭などが山腹に並んでいる(いずれも重文)。春と秋には夜のライトアップ、特別拝観も実施されている。

 

 

京都旅行:東山・高台寺

 

京都旅行:東山・高台寺

 

京都旅行:東山・高台寺

 

京都旅行:東山・高台寺

 

霊屋(たまや)
秀吉と北政所の木像をまつる内陣厨子の扉や須弥壇に施された華やかな高台寺蒔絵(まきえ)が有名で、ガラス越しに拝観できる。
北政所はその像の真下、地下約6mに葬られている。

 

傘亭・時雨亭
2棟の茶室は伏見城から移築されたもので、時雨亭とともに開山時の建物。

 

 

12時20分:圓徳院
京都旅行:東山・圓徳院

 

京都旅行:東山・圓徳院

 

京都旅行:東山・圓徳院

 

京都旅行:東山・圓徳院

 

圓徳院(えんとくいん)

ねねの実家・木下家の菩提寺として開かれた高台寺塔頭。
桐紋の襖に描かれた長谷川等伯筆の障壁画(重文)と、伏見城の化粧御殿から移した豪壮な石組の北庭(名勝)が拝観できる。
門前の「ねねの道」から下河原通ヘクランクしてのびる石塀小路は落ち着いた風情の石畳道で、古都情緒に浸りながら散策が楽しめる。

 

 

13時:八坂神社
京都旅行:東山・八坂神社

 

京都旅行:東山・八坂神社

 

京都旅行:東山・八坂神社

 

京都旅行:東山・八坂神社

 

京都旅行:東山・八坂神社

 

八坂神社

平安初期創建の古社。
厄除け・疫病退散・商売繁盛のご利益を授かる京の町の守り神。
全国の祇園社の総社で、素戔鳴命・櫛稲田姫命・御子八柱を祭神とする。
平成14年春に大修復を終えた本殿(重文)は2棟の社殿を桧皮葺・入母屋造の大屋根に収めた珍しい形式で、祇園造と呼ばれる。

 

 

13時20分:京煎堂
京都旅行:四条通・京煎堂

 

京都旅行:四条通・京煎堂

 

京都旅行:四条通・京煎堂

 

京都旅行:四条通・京煎堂

 

京煎堂・抹茶パフェ

八坂神社を出て歩いていると目に止まったのが抹茶パフェ。昼食もまだだし、昼はこれ位でいいと考えて一番美味しそうな、おぜんざいと抹茶パフェのセットを食べてみることに。
おぜんざいも抹茶パフェもとても美味しかった。久しぶりに食べたパフェとおしるこに共に感激です。
ちなみに、関東は小豆あんの汁物全般をしること呼び、関西になると、粒のないものをしるこ、粒があるものをぜんざいと言う。

 

 

京都旅行:東山・祇園

 

14時15分:建仁寺

建仁寺:栄西禅師が開いた京都最古の禅刹

臨済宗の開祖栄西禅師が建仁2年(1202)に開いた京都最古の禅寺で、本坊が公開されている。

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

方丈では僑本間雪の筆による襖絵や俵屋宗達作「風神雷神図」(常設はレプリカだけど)が鑑賞できる
方丈前庭には枯山水が広がり、境内は禅の美をいたるところに感じる

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

京都旅行:東山 建仁寺

 

 

 

本能寺:17時
京都旅行:錦天満宮

 

京都旅行:錦天満宮

 

京都旅行:四条

 

京都旅行:本能寺

 

京都旅行:本能寺

 

錦天満宮

新京極通に面し、小ぢんまりした境内。
知恵、学問、商才のご利益があるという天満宮で、学問の神、菅原道真が祭神である。

 

錦市場
京の台所。京名産や旬の食材を求める人達で賑わっていた。ビールのつまみと思いだし巻き卵などお惣菜を購入。観光地だから割高なのかな?先に京都大丸のデパ地下で牛肉弁当を買ったときに他の食材コーナーの食べ物ががすごく豪華に見えた。今度来た時には色々買って食べてみたいと思う。

 

本能寺

織田信長とともに炎上した寺
豊臣秀吉が京の町を大改造したとき現在地の寺町の一角に、1592年(天正20)には本堂、客殿、大書院、開山堂や塔頭十数院が完成した。

 

仁和寺・御室会館(宿坊)

京都旅行:仁和寺・御室会館

 

京都旅行:仁和寺・御室会館

 

二日目の宿泊は、一度は体験してみたかったお寺での宿坊。
朝のお勤めに参拝に心身ともに清めたいと思い、仁和寺御室会館を宿泊に決めた。御室会館は建物も部屋もきれいだし、お風呂も広いのでなかなか快適でした。
夕食をとりに外出したげれど地図を忘れて店がわからない。結局あきらめて大丸と錦市場で仕入れた食材とビールで乾杯。
夕食は、京都大丸にある三嶋亭の牛肉弁当、美味しかったです。

東山〜四条周辺の観光ガイドメモ

三条大橋

京都・三条大橋

 

弥次さん喜多さん像に出会う
三条大橋は、東海道五十三次の西の出発点。橋の西詰めには十返舎一九『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんの像が仲良く立ち、東詰めには御所を遥拝する、江戸時代後期の勤王思想家、高山彦九郎像が立つ。
現在の橋は、1950年(昭和25)に再建されたものだが、1590年(大正18)、豊臣秀吉が増田長盛(ましたながもり)に命じて大改修した当時の高欄(こうらん)と紫銅の擬宝珠(ぎぼし)を見ることができる。

四条大橋

京都・四条大橋

鴨川の情景に情緒を添える
祇園さん(八坂神社)の参詣道にあることから「祇園橋」とも呼ばれる。
近くの河原では、出雲阿国(いずものおくに)らが歌舞伎を興行、現在東岸に残る歌舞伎上演の南座は、その名残である。
鴨川の氾濫でたびたび橋が流され、明治期に鉄橋がつくられた。当時、鉄橋は珍しく、「くろがね橋」と衆目を集めたが、巨額の建造費を補うため通行人や車馬から橋銭を徴収したので、「銭取り橋」と不評だった。現在の橋は1942年(昭和17)の竣工。

五条の橋

京都・五条大橋

牛若丸と弁慶が戦ったとされる「五条の橋」は、松原橋の位置にあたる。
松原通は、かつて五条通という名前だが、天正年間(1573〜1592)、豊臣秀吉の大仏殿建立によって、現在の位置に五条大橋が架けられたことにより、通りの名前と橋の名前が変わる。

清水寺

京都・五条大橋

四季、それぞれに美しい清水の舞台からの眺望
創建は延暦17(798)年、観世音菩薩を安置するために坂上田村麻が堂宇を建立。
西国三十三所第16番札所で、京部屈指の名刹。
音羽山中腹に広がる境内は13万u。
三重塔、清水の舞台で知られる本堂、奥の院など壮大な伽藍によって形成される。本堂には本尊一二面千手観音立像が安置され、その東側にある阿弥陀堂には、京都六阿弥陀仏のひとつである阿弥陀如来が祀られている。

 

朱を基調とした艶やかな朱色づかいの三重塔は、春秋の夜問のライトアップにはひときわ映える。
「清水の舞台」で名高い断崖に張り出した舞台造りの上に立ち、京都市街が一望できる絶景ポイント。春は舞台下方を桜が染め、秋には向かいの錦雲渓が紅葉で照り映える。

高台寺

京都:高台寺

北政所の寺は萩の名所
豊臣秀吉には、正妻の北政所(ねね)以外に大勢の側室がいたことが知られている。なかでも織田信長の妹お市の長女、淀君(茶々)が寵愛(ちょうあい)され、秀吉の嫡子秀頼を産んでいる。
秀吉の没後、淀君はわが子と豊臣家を守ろうと考えたが、北政所は、天下の大勢は徳川家康に付くと予測し、大坂城を出て京都に移った。そして1605年(慶長10)、秀吉の菩提を弔うために家康から全面的な協力を得た北政所(出家後は高台院満月尼)は、東山に高台寺を創建した。
1615年(元和1)、大坂夏の陣による大坂城落城で、淀君は秀頼とともに悲惨な最期をとげたが、北政所は、その後高台寺で念仏三昧の静かな余生を過ごしたという。

 

蒔絵に彩られた太閤夫妻

京都:高台寺

創建当時の高台寺には、仏殿を中心とした広大な土地に、大方丈、開山堂、霊屋、鐘楼などが建っていたが、多くは焼失してしまい、当初の建造物は、開山堂、霊屋、時雨亭、傘亭、表門、庭園とそれを見晴らす観月台などが残っているだけである。
小堀遠州作という庭園が開山堂を中心にのびやかに広がり、開山堂からは石段でできた廊下、臥龍廊(がりゅうろう)が霊屋へと続いている。霊屋の内陣には本尊が納められた厨子と、その両脇に北政所と秀吉の木像が安置された須弥壇があり、華麗な蒔絵が施されている。これらは高台寺蒔絵と呼ばれ、桃山期の漆工芸の傑作とされる。
庫裡(くり)の前の台所坂を下りると石畳のねねの道。塔頭の圓徳院や、宿の月真院が並ぶ。

圓徳院(高台寺塔頭)

京都:圓徳院

ねねの実家・木下家の菩提寺として開かれた高台寺塔頭。
豊臣秀吉の正妻北政所(ねね)、のちの高台院が晩年の住まいとした地で、伏見城の化粧殿を移築したもの。客殿の長谷川等伯の襖絵や、桃山様式を今に伝える北庭、南庭が知られる。
北庭は、石組みを用いた庭師賢庭の作で、小堀遠州が手を入れたという。南庭は、白砂が敷かれた静的な枯山水として知られる。

八坂神社

京都・八坂神社

平安初期創建の古社。
厄除け・疫病退散・商売繁盛のご利益を授かる京の町の守り神。全国の祇園社の総社で、素戔鳴命・櫛稲田姫命・御子八柱を祭神とする。
神事祭事が多彩で、なかでも夏の祇園祭や大晦日のおけら詣りが有名。
創建年代は定かではないが、奈良時代に朝鮮半島より来朝した八坂氏の祖先が、牛頭天皇(ごずてんのう)(素戔鳴尊)(すさのおみこと)を祀ったのに始まるといわれる。
平成14年春に大修復を終えた本殿(重文)は2棟の社殿を桧皮葺・入母屋造の大屋根に収めた珍しい形式で、祇園造と呼ばれる。
緑の豊かな境内には、楼門・礼殿・摂社・末社などが立ち並び、絵馬殿には池大雅(いけのたいが)や海北友竹(かいほうゆうちく)の筆による絵馬がかかげられている。

祇園祭の由来と八坂神社

八坂神社と呼ばれるのは1868年(明治1)の神仏分離以降。それまでは祇園社や祇園感神院などと呼ばれていた。
室町時代の1497年(明応6)建立の西楼門から境内に入ると、摂社・末社が続き、中央に入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)の本殿が見える。左右と背面の三方に庇(ひさし)、正面に向拝(こうはい)を設けている珍しい建築で、中央に素戔鳴尊、東の間に奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、西の間に八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祀っている。
現在の建物は、1654年(承応3)の再建。
日本三大祭のひとつ祇園祭は八坂神社の祭礼で、869年(貞観11)、疫病を鎮めるため、66本の鉾を立て、京都の中心街を練り歩く。山鉾巡行や神輿の渡御など、夏のひと月の間、周辺は祭一色に染まる。
元旦の白朮祭(おけらまつり)、1月3日のかるた始めの正月行事、舞妓さんの豆まきのある2月の節分祭、7月には祇園祭が行なわれる。

 

円山公園
京都随一の夜桜が見所
八坂神社の奥にある桜の名所が円山公園。明治維新で官収された土地が1886年(明治19)に公園となった。
春には公園内に約700本の桜が咲きそろう。なかでも、公園中央にある祇園枝垂桜は名高い。
先代の桜は樹齢200年で、根まわり約4mもある巨木だったが、60年ほど前に枯死してしまった。幸い、2世の枝垂桜が2本育成され、そのうちの1本が公園内に植樹されている。開花期、周辺はライトアップされ、夜桜を見る人で賑う。

 

祇園を歩く

京都:祇園

東西は八坂神社と鴨川の間、南北は建仁寺の北から新橋通に及ぶ地を、祇園と呼んでいる。京都に残る現役の花街で、情緒ある町並みが続く一画である。
江戸時代初期に祇園社(八坂神社)への参詣客をもてなす水茶屋が軒を並べたのが始まりという。現在歌舞練場のある花見小路一帯が開けるのは明治維新後で、それ以前は建仁寺の境内の一部だった。今では茶屋の数は花見小路のほうが多く、細い道を入ると紅殻格子(べんからこうし)に一間間口の入り口、2階に軒簾(のきすだれ)を掛けた茶屋が並んでいる。
もつとも祇園らしい情緒を残すのが、白川に架かる巽橋あたり。新門前にある舞のお師匠さんのところへの往き帰り、舞妓が橋のほとりの辰巳明神に手を合わせる姿が見られたりもする。
戦時中、建物疎開のため白川北岸の茶屋が取り壊されて散策路となったが、南岸には現在も茶屋が水際に張りだすように建っている。

建仁寺

京都:建仁寺

栄西禅師が開いた京都最古の禅刹、風神雷神図、双竜図、見所多い禅の名刹
勅使門(重文)・三門・法堂・方丈(重文)が一直線に建つ臨済宗建仁寺派の大本山。臨済宗の開祖栄西禅師が建仁2年(1202)に開いた京都最古の禅寺で、本坊が公開されている。
本坊は、安国寺恵瓊が安芸の安国寺から移した方丈で、僑本間雪の筆による襖絵や俵屋宗達作「風神雷神図」(国宝)の(常設は複製)が拝観できる。
方丈前庭には白砂の枯山水が広がり、境内は禅の美をいたるところに感じる。法堂の大天井には、小泉淳筆の108畳の大きさからなる双竜図が描かれている。

錦天満宮

京都・錦天満宮

新京極通に面し、小ぢんまりした境内。
繁華街で知恵を授かる
知恵、学問、商才のご利益があるという天満宮で、学問の神、菅原道真が祭神である。
平安時代に道真の父の邸宅に創建されたのが始まりで、のちに豊臣秀吉によって現在地に移された。
錦小路通をまたぐ鳥居は、あとから両側にビルが建てられたため、両端が壁面にめり込んでいるという珍しいもの。境内には「錦の水」が湧き、水を汲みに訪れる人も多い。

京極

京都・錦天満宮

平安京の東西の端を京極といった。つまり東京極大路(現在は寺町通)と西京極大路(西京極という地名のみ残る)の内側が、平安京であった。
京都人には馴染みのある名称で、寺町京極のほかに新京極、松原京極、西陣京極などのほか、田中京極、山科京極など平安京の外にも見られる。
現在の京極町の町名は、1869年(明治2)からで、以前は蓮池町と呼ばれていた。

錦市場

京都・錦市場

京の台所。京名産や旬の食材を求める人達で賑う。
京の町の中心部を東西に貫く錦小路のうち、高倉通から東に400mほどの間を錦(市場)と呼ぶ。
すれ違うのに肩が触れ合うほどの幅で、両側には約140店舗がひしめく。
発祥は古く、室町時代中期には、すでに魚市があったことが知られるが、江戸時代以降活況を呈し、現在は、野菜、漬物、鮮魚をはじめ、あらゆる素材が季節に先駆けて店頭に並ぶことで観先客にも人気が高い。

本能寺

京都・錦市場

織田信長とともに炎上した寺
現在の本能寺は、御池通をはさんで市役所の南向いにあり、総門は西側の寺町通に面して建っている。
1415年(応永22)、本門法華宗を興した日隆(にちりゅう)により創建。比叡山衆徒による天文法華の乱で堺に移るなど、各地を転々とした。
寺地が定まったのは、豊臣秀吉が京の町を大改造したときである。現在地の寺町の一角に、1592年(天正20)には本堂、客殿、大書院、開山堂や塔頭十数院が完成した。
本能寺の名が歴史に刻まれたのは、織田信長が、ここで家臣の明智光秀に討たれたため。
1582年(天正10)、光秀は1万3000の兵を率いて京に攻め入った。当時の本能寺は、小川通六角の南側にあり、堂宇47を有する大寺だったという。
本能寺は炎上し、信長は自刃して49歳の生涯を閉じた。その跡には元本能寺町、元本能寺南町の地名と、本能寺の跡を示す石碑だけが残っている。
再建された本能寺には、信長や森蘭丸ら、戦死者の供養塔がある。

東山〜四条周辺の観光記事一覧

建仁寺

建仁寺臨済禅と茶を伝えた栄西の創建晩秋、建仁寺の法堂の周りを囲む垣根に、白く小さい茶の花が彩りを添える。臨済禅(りんざいっぜん)の東山建仁寺は茶祖、栄西が創建した大寺。ちなみに栄西は茶書『喫茶養生記』を著し、二日酔いに悩む鎌倉幕府三代将軍源実朝に献上したという。鎌倉初期、栄西は2度の宋への留学を終え...

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