兼六園
兼六園は、かつては金沢城の庭園であった。1600年頃、2代藩主前田利長に招かれた明の儒学者が居住したという傾斜地に、5代藩主前田綱紀が造った蓮池庭が兼六園の始まりと言われている。
1759年の大火で全焼したが、15年後に11代藩主治脩が再建、1822年(文政5年)には辰巳用水路が取水され石橋も架けられた。この年に兼六園と命名。由来は、宏大・幽すい・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備することからきている。
石川県:金沢、兼六園の観光 1泊2日
9時30分兼六園近くの石引駐車場
厚生年金会館(現在は北陸電力会館・本多の森ホール)前にある石引駐車場が一日500円(8時〜21時)と安かったので2日間とも利用した。ここから兼六園随身坂口に近い場所。
夕べはミゾレ交じりの雪が降ったのだろうか、ビシャビシャになった雪が少し残っている。
兼六園に入る前に護国神社に寄りお参りをする。
兼六園随身坂口手前に学問の神様として信仰されている金沢神社ある。
随身坂口に着いて入園料を払おうと思っていると窓口が閉まっており誰もいない。よく見ると案内板に正月三が日は入園無料と書いてある。今日は1月2日なので明日も無料なのでラッキーでした。兼六園無料開園日は1年を通じて結構あるみたいです。元々入園料安いけどね。
梅林・根上松・板橋・曲水
曲水ににかかる板橋にゴザが敷かれている。板橋は船底板を用いた橋で、三河の八橋を模して造られ橋。5月になると曲水にカキツバタの群生が見られだ。板橋の手前にちょうど冬桜が咲いていた。
根上松(ねあがりまつ)は、地上2mまで根が露出している松。盛り土に植えられ、成長後に土を取り払ったため、このようになったという。
青い合羽を着た人たちが数人通り過ぎて行った。何だろうと思っていたが曲水を所々掃除してた。
明治記念之標
西南戦争に出兵した石川県出身者400人をまつっている。銅像の日本武尊は台座6.5m、像高5.5m。
花見橋
橋から見る季節の花、桜、カキツバタ、サツキ、ツツジなどの眺めがすばらしいことから、この名前がついた木橋。
鶺鴒島(せきれいじま)
イザナミノミコトとイザナギノミコトが男女和合の方法を鶺鴒から教わったという故事になぞえらた島名。別名「夫婦島」。
人生の三儀式である「誕生」「結婚」「死」をそれぞれ陰陽石、相生の松、五重の石塔で表し、配置してある。陰陽石は誕生、相生の松は結婚、五重の石塔は死を意味している。
霞ケ池
面積580uの園内最大の池。
「東方海上の島に不老長寿の仙大が住む」という中国の故事に基づいて造られた。中央の蓬莱島が、仙人の住んでいた場所を表している。
唐崎松
霞ヶ池の湖面を這うように枝を仲ばす黒松。琵琶湖畔から種子を取り寄せて育てた名木で、冬の雪吊の姿もまた優美。
徽軫灯篭と霞ヶ池
桜ヶ岡から霞ヶ池に出たところに架かる橋で、別名琴橋。琴柱をかたどった、2本足の優美な徽軫灯篭が橋のたもとに立つ。
噴水
文久年間(1861〜64)に造られた日本最古の噴水。
霞ケ池との落差を利用して水を送り自然の水圧で高さ3.5mまで水を噴き上げる。また、池の水量により吹き上げる高さが変わる。
石川門
国指定重要文化財で、搦手門(裏門)として金沢城を守っていた。
見在の建物1787年に再建されたもの。寒気が厳しく普通の瓦では割れてしまうため、鉛瓦を特別に使用している。これはいざ戦となった時に瓦を弾丸として鋳造できるからでもあった。
金沢城址
明治2年まで加賀藩前田家14代の居城だった金沢城は、いく度かの火災を経た後、尨判羊戦争までは陸軍の拠点、第九師団司令部、戦後は、進駐軍管轄の時代を経て1950年年から1995年まで金沢大学として利用されていた。
2001年秋には金沢城址公園として菱櫓・五十間長屋などが復元される。
石川門を入ったあたりから霙交じりの雨が降り出したので今日の観光は終了、引き返して宿泊する金沢駅前のビジネスホテルに向かうとする。
駐車場に向かう途中に霙が勢いよく降ってきて辺りは一時真っ白状態。。
15時 ビジネスホテル
金沢駅前を通り、駅横にあるビジネスホテルホテルに到着。
今日も疲れたので夕食まで仮眠する。