Chinese history 知っておきたい中国の歴史

唐時代

中国歴代王朝の中でもっとも華やかだったのが唐(618〜907)の時代。
隋王朝の臣下だった李淵が建国した唐は、まもなく朝鮮半島と中央アジアを勢力下におく。
唐代には、隋以前の王朝では道教と仏教に押されて影の薄かった新儒教主義のもと、官僚制度の整備が進められた。
優れた人材を官吏に登用するため、主として儒教の知識を問う科挙とよばれる資格試験が実施された。

 

また、前王朝の過ちを繰り返さないよう、農民に土地を均分に与える均田制を採用するなど、農民をなだめることが政策の柱とされた。
唐代の初期には、手工業や外国との交易が盛んになり、経済は大成長を遂げた。
唐の影響は中央アジアにも及び、とくにチベットとの関係が深まった。
また、日本との文化交流が進んだ結果、日本でも漢字が使用されるようになった。
唐は外国人に寛容だったため、シルクロードを通じて異文化との交流が盛んに行なわれた。
景教(ネストリウス派のキリスト教)、マ二教、回教など、多くの宗教が中国に伝来したが、いずれも仏教ほど深く根付くには至らなかった。
中国史上もっとも悪名高い女帝、則天武后(在位689〜705)は、初め後宮に入ったのち、策謀の限りを尽くして皇后となり、最後は皇帝の座に就いた。
則天武后が仏僧好んだことから、この女帝が力を振るった時代には、仏教が盛んになった。
則天武后にまつわるこんな話がある。
宮廷の占い師が皇帝に武という姓の女性唐を滅ぼすから宮廷に入れてはいけないといったと聞いて、彼女は大いに腹を立て、自ら帝位を目指した。
つまり、怒りを力に換え皇帝まで上りつめたということ。
第6代皇帝、玄宗(712〜756)の治世は唐の黄金時代といわれるが、751年タフス河畔の戦いでイスラム軍に破れたのを機に唐は衰退の道をたどり始める。

 

755年にはソグド人の指揮官、安禄山が反乱を起こす。
この乱は鎮圧されたものの、以後、唐の統制力は大幅に弱まった。
その後は、宮廷で宦官が実権を握り、皇帝の毒殺が相次ぐ。
仏教は弾圧され、経済が急激に悪化し、徹底的に搾取された
農民は怒り、暴動を起こした。
こうして中国は各地で軍閥が勢力を振るう群雄割拠の状態となる。

 

唐代には文化が大いに栄え、とくに詩の隆盛には目をみはるものがあり、李白や杜甫といった大家が輩出した。
散文では韓愈がすぐれた文章家として名高い。
印刷術が発明されたのも唐代のことであり、敦煌で発見された『金剛経』は、世界最古の印刷物。
仏教美術もピークを迎えたが、仏教弾圧のあおりを受けて破壊された作品も多い。
竜門と敦煌にはこの時代につくられた塑像が残っている。
絵画が最盛期を迎えるのは次の宋代だが、その基礎はすでに唐代にできあがっていた。