漢時代
北方の匈奴が強大な国家をつくり秦と対抗
秦をわずか15年で滅亡させて誕生した漢は、匈奴と対抗しながら、西方に向かって領土を拡大しました。
漢は秦の制度を継承しながらその弱点をあらため、より強固な帝国をきすいて400年続きました。
漢は秦が定めた国家制度の多くを踏襲した。
漢代の400年間に中国文化が大いに発展し、また洗練されていったため、「漢」という文字は、いまなお「中国」の意で用いられている。
一般に漢王朝は前漢(紀元前206〜紀元後9)と後漢(25〜220)のに分けられる。
前漢を滅ぼすのは、皇帝の外戚として実権を握ったのち、王位を簒奪した王莽。
だが、王莽が建国した新もわすか15年で滅び、後漢が再建される。
前漢は、秦の始皇帝の圧政で衰退した国力を回復し、国家体制を磐石にするという大業を果たさなければならなかったが、その制度は秦の制度に非常に近かった。
ただし、秦の時代に禁止された儒家思想が息を吹き返して官僚の間に浸透していったため、少なくとも外見上は徳治主義による統治が行なわれるようになった。
後漢の末期には、悪政と天災に苦しむ民衆の不満が高まっていき、ついに黄巾の乱をおこす。
この反乱を機に、その後も混乱が続き、後漢は封建諸侯からの圧力を受けてついに滅亡する。
司馬遷(紀元前145年頃〜同86年頃)の「史記」は、歴代王朝の興亡を紀伝体で記した通史であり、この時代に著された最も有名な書物。