秦漢の統一と北方民族
戦国時代の辺境にあった秦は、東方の国々を次つぎに滅ぼして、紀元前221年中国を統一した。
秦は中国初の統一国家となり、その王は初代皇帝の意である始皇帝と称した。
始皇帝は紀元前221年から同210年までの短い治世に、大量殺りくを行ない、民を抑圧したほか、書を焼き、儒者を生き埋めにした。
いわゆる焚書坑儒である。
このため貴重な文献の多くが灰となった。
また、始皇帝は外征を繰り返し、北方遊牧民族の侵入を防ぐために万里の長城を完成した。
また西安の郊外に巨大な陵墓を造営するとともに、副葬品として戦士を型どった素焼きの土偶をつくらせた。
始皇帝は諸制度を一新し、文字と度量衡の統一も行なった。
しかし、秦の圧政は民の怒りを買い、陳勝・呉広の乱をはじめ、各地で反乱が起こり、やがて項羽が秦を滅ぼし、その項羽を破った劉邦が天下を統一して、漢の初代皇帝となる。
秦時代記事一覧
中国を統一した秦の始皇帝
戦国時代の秦は、東方の国々からは文化のおくれた国とみなされていましたが、多くの戦争を勝ちぬいて中国を統一しました。秦は、国内では厳しい刑罰と厳格な行政規則(律令制度)を実行し、たくみな外交活動を展開し、また他国の技術者を積極的にむかえ、強国となりました。始皇帝の中国統一は、戦国時代以来の秦のこのよう...