周時代
周の名は殷代の甲骨文にしばしば登場する。 その周の武王が殷王朝を滅ぼし、覇権を握った。
周は、殷の文化の多くを受け継いだが、神権政治ではなく封建制による統治を行なった。
周王朝は西周と東周の二つに分けられる。
西周(紀元前1122頃〜同771)の歴史に関する資料はきわめて少ないが、紀元前9世頃になるとかなり国力が衰退し、幽王の時代に遊牧民族の攻撃を受け、ついに西周は滅亡する。
幽王の子、平王は都を稿京(現在の西安付近)から洛邑(現在の洛陽)に移し、以後は東周(紀元前771〜同256)と呼ばれた。