西伊豆・小田原/夏旅行

2014年(平成26年)夏休み家族旅行

2014_海水浴_らららサンビーチ

西伊豆

海水浴:らららサンビーチ

2014年8月12日(火)

@らららサンビーチで海水浴と磯遊び

海水浴場としての施設や設備が整っていて子供たちに安全に海水浴を楽しめそうな「らららサンビーチ」を選択。
沼津周辺には、千本浜海水浴場 、島郷海水浴場、三津海水浴場、大瀬海水浴場などが有。

 

盛り合せプラン:美晴荘

西伊豆・三津海岸 温泉民宿 美晴荘

海鮮料理をみんなにお腹いっぱい食べてもらいたい、刺身の盛り合わせや煮魚、フライなどダイナミックな料理で驚かせたいのでこちらの宿にを選択。

 

マリンパーク

 

 

歴史の勉強:小田原城見学

 

夏休みの家族旅行は、静岡県伊豆周辺を計画。
初日は子供に適した海水浴場と宿泊施設で皆が満足できる食事
二日目の観光はマリンパークで水族館やイルカのショーなどを観賞、午後は小田原に寄り小田原城を見学して、夕食をとって帰宅するプランを作成。

海水浴:らららサンビーチ(沼津市西浦海浜施設)

らららサンビーチは人気があり、朝早くから駐車場が満車になるとのことで7時半頃に到着、駐車場係の人もいてビーチ駐車場代金1000円を支払い、車もまばらだったので荷物の出し入れの良いビーチ側に止めることができた。
らららサンビーチは人工海浜施設、白い砂のビーチに磯浜で磯遊びをすることができるので家族連れに適した海水浴場と言うことでパラソル、椅子、浜遊び用のアミやバケツも用意。

 

2014_海水浴場_静岡県沼津市_らららサンビーチ

 

2014_海水浴場_静岡県沼津市_らららサンビーチ
早い時間に到着すれば車からすぐの場所を確保できてにもつの運びも楽にできる。

 

2014_海水浴場_静岡県沼津市_らららサンビーチ
子供たちも持参のお菓子を広げて食べる。旅行の時には好きなだけお菓子を食べられるのでとても楽しそうだ。

 

2014_らららサンビーチ_磯遊び

泳いだ後は初めての磯遊びを楽しむ

磯遊びは初めての経験、網を使っての小魚の捕獲。最初は魚の捕獲に意慾満々だったがだんだん魚を捕ることの難しさがわかってくる。

 

2014_らららサンビーチ_磯遊び
大人も必死になって捕獲しようとするが難しい、目標を小魚にして何とか網ですくえるようになってきた。

 

2014_らららサンビーチ_磯遊び
まあまあ捕れたでしょう。ここで学習したことはカニを魚と一緒にしてはいけないこと。一匹の小魚が真っ二つ切断されてた、たぶんカニがはさみで切ったのだと思う。

 

2014_海水浴_らららサンビーチ
今年最初で最後の海水浴、時間前に最後のひと泳ぎを楽しむ。

 

2014_海水浴_らららサンビーチ
時々小雨もぱらついたけれど楽しい海水浴となった。特に磯遊びが意外にも夢中になり楽しく一日を過ごせたので一安心。

西伊豆・三津海岸 美晴荘:豪華盛り合せプラン

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン

らららサンビーチから車で10分位の場所に本日宿泊所する美晴荘。
伊豆周辺でお手ごろな料金、満足できる料理、近くに海水浴場、レジャー施設があるのが条件で調べた結果こちらの美晴荘を6月末に予約しておいた。
到着後温泉風呂に入り夕食まで少し時間があったので海沿いを散歩、お腹をすかして待望の夕食。

 

夕食は海鮮の山盛り、豪華盛り合せプラン

勿体ないけど完食はは不可能、そして皆が満足できる料理内容、最初から最後まで笑みが出て楽しい食事の時間を過ごせたので、ここでも一安心。
最後はもう何も入らない、美味しいものを残すことは勿体ないけれど、お腹はパンパンでギブアップ。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
テーブルの上に並ぶ海鮮料理を見て、皆で”すごい”の一言、嬉しい瞬間です。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
お米が好きなんです、最初はご飯からです。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
あれもこれも食べたい年頃かな、出されている料理を一通り手を付けて味わってみる。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
蟹好きの私、おかわりです。しょうがないから私のをあげました。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
まずカニがつく食べ物から手をつける。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
まだまだ出てくる単品料理、料理が運ばれてくるたびに歓声が上がる。配膳の人喜んでた。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
うちの子供たちは魚の目が好きなんです、たぶん金目の大きな目もいただくでしょう。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
もうとっくにお腹がいっぱい、美味しいはずの海老も金目の煮つけもやっと食べているという感じでもったいない気分です。

 

西伊豆:美晴荘・海鮮盛り合わせプラン
金目の目が無いのがわかるでしょう、金目の目玉は美味しいとのことです。
金目の煮つけもカサゴのフライもとても美味しい、しかし、料理全体が多いので完食は不可能です。

 

西伊豆:美晴荘
もうお腹いっぱいで何も入らないと言いつつ最後にデザート、フルーツ大好きな私は独り占めしようとブロックするが失敗、でも3人前はいただきました。

 

朝食は食卓でシンプルに

西伊豆・三津海岸 温泉民宿 美晴荘
ホテルなどのバイキング形式だと自分の好きな食べ物を選べるが、並んだり選んだり騒がしい雰囲気だったりで、落ち着いて食事をすることが出来ないことが多い。
座敷のテーブルで食事するのが一番落ち着く。これだけあればご飯もおかわり、おなかいっぱいに食べてしまう。

 

西伊豆・三津海岸 温泉民宿 美晴荘

 

 

西伊豆:美晴荘

美晴荘

美晴荘前の道路から曲がると車のバンパー下をおもいきり擦る。注意書きが部屋にあるけど擦ってからでは遅いと思う。
3階の客室からは淡島マリンパークの島が見える、その先のシーパラダイスがあるので開園から昼まで観る予定、午後は小田原まで戻って小田原城を見学の予定。


マリンパークの観光

子でも向けに先着50名に使い捨てカメラのプレゼントがあって、ちょうど最後の方で2人共貰えた。
水族館、遊覧船、イルカショーなどを観て昼にはマリンパークを出発、昼食は朝食を食べすぎたせいか皆お腹はすいていないしお菓子もまだいっぱいあるので、お菓子をつまみながら車で小田原に向かう。

子供たちとお城の見学:小田原城

小田原城

子供達には初めのお城見学、探検気分で城見学を楽しんでもらいたい。

そして日本の文化や歴史を展示物などの資料を通じ日本の歴史について何かを感じ取ってもらいたく今回の家族旅行に小田原城を取り入れてみた。

 

子供と学ぶ日本の歴史:小田原城見学

 

 

小田原城

 

小田原城

 

小田原城

 

小田原城

 

小田原城
売店があったのでカキ氷とソフトクリームで一休み。

 

小田原城
レインボーのカキ氷なんて初めて見た、量は多いけど珍しいので記念に食べさせてみた。

 

小田原城

 

小田原城

 

小田原城

 

小田原城


万福 (まんぷく)

定食・食堂
神奈川県足柄上郡開成町吉田島1583
0465-83-5020
万福(定食・食堂)
小田原城を見学を終えて夕食のために市内から少し走りる。
カーナビで満腹食道の近くには来ているのだけれどなかなか見つけられなかった店、通りから信号をまがったらすぐのところに所にあった。
車を止めて見ると店の横に店の名前が書いてあるのには笑った。
料理は評判通り皆美味しかった。子供も大人もおなかいっぱい、とても満足できる食堂でまた来たくなる感じの店だった。

 

高速道路
高速道路はさほど渋滞もなく、一泊二日目のの家族旅行最後の走行。
車中は二日間の疲れとおなかも満腹なのか熟睡モードらしく静か、こちらも眠いのを我慢しながらの運転だけれど、楽しい二日間をすごせた。

『小田原城と言えば後北条氏』 学習メモ

小田原城と言えば後北条氏の居城であり、上杉謙信、武田信玄の攻撃もうち返した「難攻不落で無敵のお城」とまで言われる名城。
小田原城「北条氏五代」の歴史、初代、北条早雲(伊勢盛時)から北条氏直まで、戦国時代においておよそ100年間、五代続いた北条氏。その歴史は小田原城と共にありました
★戦国時代において五代100年続く
戦国の世にあって五代100年に渡り続いた。
初代早雲の「質素倹約を守ること」、「神仏を信仰すること」、「常に勉強すること」など、主君としての心得を記したこ家訓は、後北条氏五代100年の繁栄の基盤となる精神的な支柱となった。

 

後北条氏の家紋

西伊豆・小田原/夏旅行 海水浴と水族館と小田原城

三つ鱗(北条鱗)
後北条氏は、伊勢長氏(北条早雲)を祖とし、家紋は「三つ鱗」である。三つ鱗は鎌倉執権家北条氏の家紋であった。
自ら北条氏の後裔を称し、北条氏にならって三つ鱗を用いたものである。

 

初代 北条早雲 (そううん)
二代目 北条氏綱 (うじつな)
三代目 北条氏康 (うじやす)
四代目 北条氏政 (うじまさ)
五代目 北条氏直 (うじなお)

 

 

▼北条氏五代とは
後北条氏(ごほうじょうし/ごほうじょううじ、旧字体表記:後北條氏)は、関東の戦国大名。本姓は平氏。家系は武家の桓武平氏伊勢氏流。室町幕府の御家人・伊勢氏の一族にあたる「北条早雲」こと伊勢盛時(1432年/1456年-1519年)をその祖とする。

 

正式な名字は「北条(北條)」だが、代々鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏とは傍系の遠い血縁関係にあるものの直接の後裔ではないことから、後代の史家が両者を区別するため伊勢氏流北条家には「後」を付して「後北条」と呼ぶようになった。

 

 

 

★民を豊かにし、国を豊かにする
戦国乱世では、武力と器量と人心を掌握できる者のみに覇権の道が拓かれる。
早雲は伊豆国の経営に当たって、まず税負担を五公五民から四公六民(*)に改め、雑税や公役も廃止。農作不良の年は低利で穀類や資金を貸し出し、風土病対策に投薬を施した。さらに不義不正を働く地頭(徴税役人)がいれば訴え出よ、その者を追放する、とまで定めている。

 

*四公六民とは・・・
その年の収穫高の四割を年貢として納め、六割を農民の所得とする。当時は、五公五民や六公四民が当たり前だった。

 

 

★難攻不落の城
3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵のお城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。
最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。

 

★関東一円を広く治めた
北条氏の領国は相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野から常陸・下野・駿河の一部に及ぶ240万石(北条氏の所領跡地に入った家康の慶長3年検地・大名知行高に基づく推測)に達し、最大版図を築き上げた。

 

 

北条氏滅ぶ■■■
★小田原征伐
小田原征伐(おだわらせいばつ)は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が大義名分によって後北条氏を征伐し降した歴史事象・戦役。惣無事令違反を名目に起こした征討で、天皇は後北条氏討伐の勅書を発していなかったものの、太閤であった豊臣秀吉は、天皇の施策遂行者として名分を備えていたという立場で臨んでいた。小田原城の攻囲戦だけでなく、並行して行われた後北条氏領土の攻略戦も、この戦役に含むものとする。

 

石垣山一夜城
豊臣秀吉は、小田原全体を見下ろせる笠懸(かさがけ)山に対(たい)の城として一つの城を築かせ、そこを本陣とした。これがいわゆる石垣山一夜城である。

 

★小田原開城以後
小田原城開城の際、隠居の氏政及び氏照は切腹、鉢形城で捕虜となった氏邦は出家となり前田家に預けられた。当主の氏直は助命されて高野山に流された。謹慎処分中とはいえ大名待遇の賄い領1万石を給されていた。近々国持大名として氏直を再封する予定もあったといわれるなか、意気消沈の氏直は翌1591年には疱瘡に罹り、数え30の若さで死去。

子供たちとアウトドア